2016年07月30日

宇野功芳先生を想う

宇野功芳先生が6/10(金)に亡くなられた。今でもなお、これまでにない喪失感と共にあるけれど、自分なりの追悼の想いをまとめておきたい。
宇野先生に初めて接したのは2003年1月18日、執筆50周年パーティだった。招待されていた辻正行先生(故人)に同行したのだ。同年5月に辻正行指揮による「髙田三郎合唱作品全集“その心の響き”」コンサートを控え、髙田先生を師と仰ぐ宇野先生にプログラムへの寄稿を依頼したいという気持ちもあった。思えば、10ヵ月後(11月1日)に辻先生は亡くなられるのだから、最晩年の辻先生が巡り合わせてくれた大切なご縁のひとつだったのだと想いを馳せている。初めてご挨拶させていただいた宇野先生は、その評論からのイメージとは異なり、やわらかくやさしい口調でお声掛けくださった。そして、決して気持ちの強い方ではなく繊細なお人柄なのだと感じた。その第一印象は最後まで変わることはなかった。その後、お電話やファックスで何度かやりとりをさせていただき、演奏会のプログラムに心のこもった原稿をお寄せくださったのだった。

執筆50周年パーティで出席者に贈られた『たてしな日記』


「髙田三郎合唱作品全集“その心の響き”混声編Ⅰ」プログラムより転載
2003年5月11日(日)石橋メモリアルホール
指揮:辻正行/ピアノ:辻志朗
水のいのち、わたしの願い、冬風蓮湖、水汲み

髙田三郎先生が逝去されてすでに二年半、歳月の流れの速さに驚かされるが、この度、辻正行さんが全九回にわたって先生の作品を指揮されるという。今年は混声編が二回だが、続いて男声編、女声編も登場する筈だ。年二回とすれば四年半を要することになる。実に遠大な計画であるが、髙田三郎を敬愛し、その作品に傾倒する辻としてみれば、まさにライフワークとして全力をそそぐものと思われる。石橋メモリアルホールは柔らかい残響に包まれる名ホールで、同時進行するライヴ・レコーディングは、やがて「髙田三郎合唱作品全集」のCDとして完成されるであろう。今から成功を祈ってやまないものがある。
ぼくは一九八四年から九二年にかけて計三回「第九」を指揮したが、コーラスはすべて辻さんのTCF合唱団にお願いした。その他、九〇年にモーツァルトのミサ曲を振ったときも同合唱団を選んだ。ベートーヴェンの「第九」というと、やたらにどなりまくる合唱団が多い。歓喜の歌だからといって力むだけでは大味なものになってしまう.そうではなく、緻密なひびきとやわらかいハーモニーでニュアンス豊かに演奏してこそ高級な音楽になるのだ。その点、TCFは打ってつけだった。ぼくは六〇年代の末から七〇年代の初めにかけて日本合唱指揮者協会の理事をつとめ、多くの合唱団を聴く機会に恵まれたが、辻さんが指揮するコーラスの柔らかく緻密なひびきとハーモニーがいつも印象深く、前記「第九」の共演につながってゆくのである。このときの演奏はキングからCDとして発売されたが、高級感あふれるコーラスが絶賛されたのは申すまでもない。
しかし、辻正行はその後も進歩をつづけた。九〇年代、ぼくは毎年、町田の合唱祭に審査員として通ったが、辻さんの指揮が年々練れてゆくのを眼のあたりにしていた。だから今回の髙田作品連続演奏会はますます期待されるのである。ご存知のように髙田三郎は自作の指揮者としても著名であり、ポピュラー曲の「水のいのち」や「心の四季」には何種類ものCDが出ている。これが彼の功罪で、作曲者の指揮に権威があればあるほど、他の指揮者が真似をする結果となる。真似といって悪ければ、強い影響を受けてしまうのだ。
髙田先生はことのほか詩を大切にされた。作曲をする上ではそれはプラスになるが、演奏をする上ではどうなのだろうか。最近はコンクールで髙田作品が演奏される機会が少なくなったが、以前はその数が極めて多く、しかも、どの合唱団も髙田先生流に子音を強調し、かみつくように歌うので、演奏が完全にパターン化していた。窮屈でたまらなかった。
先生自身の演奏はテンポも遅く、実に深刻である。聴いていると、まるでお説教を喰っているような気がする。音楽作品というものは、作曲家の手を離れたら独立して一人歩きをするべきだ。いろいろな指揮者がいろいろな表現をするから作品のいのちは永遠となる。髙田作品はすばらしいが、ぼくなど、それは自分で指揮する場合に限られてしまう。ぼくはいつもモーツァルトのように愉しく髙田作品を演奏することを心がけている。一度先生に手紙を出し、詩の意味は作品の中に完全に封じ込められているのだから、演奏に際しては詩に捉われるべきではない。音楽が主、詩は従にすべきだ、と書いて大目玉をくらったことがある。「私に対する挑戦である」と雑誌に書かれたりもした。はたしてそうだろうか。
辻さんが指揮する髙田作品は実に≪音楽的≫だ。流れも自然で耳に快い。もちろん耳に快いのが良いとはいわない。時には耳に苦い方が良い場合もある。大切なのは主義主張に捉われて演奏がパターン化したり、窮屈になったりしないことなのだ。いつも自在でなければならない。ぼくは最近の辻さんの演奏がますますそのようになっていると思う。美しくも快い音楽の流れの中に、髙田先生があんなにも真剣に取り組んだ詩の心が、詩の魂が自然に流露し、自然ににじみ出るような演奏を、辻さんならきっと高い次元で完成させてくれるに違いないと信じているのである。
宇野功芳


この演奏会とレコーディングは全8回を予定していた。しかし、第2回を間近に控えた2003年11月1日に、辻先生は亡くなられた。そして2週間ほど経ったころに、宇野先生から一通のお葉書が届いた。

先日はCDありがとうございました。それにしても第一作が遺作になってしまうとは、蓑島さんが本当に一生懸命なさっていた全集だけに、無念のほどお察し申し上げます。もちろん、それ以上に辻さんにとっては心残りの極みだったでしょう。改めてご冥福をお祈りしたいと存じます。

私のようなものにも気にかけていただいていたのかと本当に驚き、感激したことを覚えている。そういえば、宇野先生の敬愛していた畑中良輔先生も、こちらからの他愛のないお手紙にお返事をくださる方であった。辻先生は電話魔(?)だった。それぞれ表れ方は違うけれど、人との出会いや繋がりを大切にされる方々だったと思い至る。

辻先生の亡くなる2003年から約8年間、宇野先生と連絡を取ることなかった。再会したのは2011年4月2日に神奈川県民ホールで開催されたアンサンブルフィオレッティのコンサートの楽屋であった。なぜだか今でも理由はわからないが、宇野先生に会いに行こうと思い立ったのだ。さすがに突然伺って会えるとは思わず、事前に連絡したところ次のようなお返事をいただいた。
「フィオレッティに来てくださるそうで嬉しいです。もちろん蓑島さんのことは忘れたことがありません。終演後ですが即サイン会に行くので、いちばん良いのは休憩時間に楽屋に来て下さることでしょう。マネージャーが居たらぼくの許可をとっているとおっしゃって下さい。ではお目にかかるのを楽しみにしています。」
緊張しつつ楽屋をノックし入ると「久しぶりだね。いつも気にかけてくれてありがとう。」と本番の合間とは思えないほど、やさしく穏やかな表情で迎えてくださった。私はできるだけ短時間にしなくてはと、手土産をお渡しし、厚かましくも記念撮影をお願いしたのだった。



数日後、宇野先生よりお葉書をいただいた。「アンサンブル・フィオレッティのピアニストを探している。ついては良い人を紹介してくれないか」という内容だったと記憶している。後に伺ったところ、私が合唱に関わっていること、音楽事務所を経営していることからご相談くださったとのことであった。宇野先生に演奏家を紹介するというのはとても荷が重く悩んだが、少なからず私を信頼してご相談くださったのだから、私も自身を信じて、最も信頼するピアニストを紹介しようと覚悟を決めた。最終的には二人のピアニストを紹介し、そのうちのお一人は、亡くなる1ヶ月前の本番までピアニストとして先生と歩んでくださった。宇野先生の最晩年まで、私のような立場の人間がほんのわずかでも先生と接点を持ち続けることができたのはこのピアニストの存在があったからだ。そして、ピアニストのマネージャーと称して練習に立ち合わせていただいたことも今となっては貴重な経験であった。ピアニストのお二人には心からの感謝を申し上げたい。

練習後の記念撮影(宇野先生・ピアニスト・フィオレッティ)


練習や演奏会に立ちあわせていただく中、宇野先生、フィオレッティのコンサートを実施したいと思う気持ちが育まれたことは、私にとって自然な流れであった。宇野先生とフィオレッティは日本の歌~歌謡曲・童謡・唱歌をレパートリーとしており、先の神奈川県民ホールでのコンサートは、演奏と共に歌い、涙するお客様で満たされていた。そのありように感銘を受けた私は、同様のコンサートをお願いしようとイメージしていたが、2012年7月16日に北村季晴作曲「おとぎ歌劇“ドンブラコ”」を上演すると聞き、富山県射水高周波文化ホールへ出掛けた。この作品は、おとぎばなし「桃太郎」を明治時代にオペラ化した作品で宝塚歌劇団の第1回公演で上演された幻のオペラ。宇野先生とフィオレッティによる演奏はCD化され、文化庁芸術祭受賞など高い評価を受けていた。演奏機会の少ない作品だったし、北村季晴という作曲家を紹介する意味でも、シン・ムジカで現在も進めているシリーズ「作曲家の庭」として実施することを考え始めた。
富山での演奏を聴いた後、この作品に魅了され、宇野先生に静岡公演の開催をご相談したところ「とても嬉しいことです。静岡公演を我々の演奏による“ドンブラコ”のラスト演奏にしよう。」と仰ったのだった。
「おとぎ歌劇“ドンブラコ”」ラスト公演は、富山公演から約1年後の2013年5月25日(土)開催となった。会場は2012年春にオープンしたばかりの静岡市清水文化会館マリナート小ホール、まだ会場に足を踏み入れたことはなかったが、先生から「300席のホールであればフィオレッティにはちょうど良いと思う。言葉もしっかり届くでしょう。」とのご意見を受け、ホール見学に出かけた。残響は多くないが(だからこそ)演奏家のしていることが見える情報量の多いホールであると好感触を得たのだった。さらに、照明担当には長年宇野先生とフィオレッティの公演を実施している富山のN氏にいらしていただくことにした。短時間のリハーサルで本番を迎える条件下で、宇野先生と信頼関係を築いておられる氏の存在は欠かせないと判断したのだ。
本番までの約1年、宇野先生とはファックスとお電話で連絡を取らせていただいた。ファックスが届くのはおおよそ午前8時~10時の間、その時間は緊張していたものだった。コンサートについての全ては人を介すことなく宇野先生と私との直接の会話のみ、フィオレッティさんの調整についても宇野先生にお任せであった。問題やトラブルが生じたという記憶はほとんどない。宇野先生は常に私の考えを尊重してくださっていたのだ。私の提案したプログラムも何も仰らず受け入れてくださった。盛りだくさんの贅沢な内容で、感謝と共に自分の無知や浅学に今となっては恥ずかしさが残る。

静岡公演のチラシ


迎えた本番前日、宇野先生は奥様と共に来静された。せっかくなので夕食をご一緒したいと提案しお食事の好みを伺ったところ、快諾のお返事と共にご希望をお寄せくださった。移動の負担を軽くするため、宿泊ホテル近くの和食屋さんにお連れした。ピアニスト、富山からのN氏も一緒である。そしてサプライズ、ティンパニ奏者として宇野先生と共演したことのある清水在住のNS氏にも同席いただいた。宇野先生は驚き、大変喜んでくださった。食事中、明日のピアノの話題になり、宇野先生のご提案でスタインウェイからヤマハCFXに変更、急遽ホールに電話したのも良い思い出だ。
当日は本当に良いコンサートになったと感激した。宇野先生は後日「蓑島さんには悪いことをした。」と仰っていたと近しい方から聞いた。先生は当時のフィオレッティが決してベストな状態でなかったと思っておられたようだ。しかし、私はそうは思わなかった。フィオレッティの皆様の演奏に向かう、本番に対しての真摯な姿勢はすばらしいものであった。演奏家に大切なのは「姿勢」だ。「今日は一生懸命取り組みました。」ではない。これまで生きてきたありようが、そのまま演奏に反映される。その瞬間の成果にはそれまでの人生の全てがある。目的の見えない“自称”演奏家の多い中、それは大きな境目だ。心から開催してよかったと思えるコンサートだった。
後日宇野先生からファックスをいただいた。「静岡公演開催ありがとうございました。演奏家にとって舞台ほど嬉しいものはなく、改めてお礼を申し上げます。~中略~蓑島さんに最後の「ドンブラコ」をやらせていただきました。本当に嬉しいことでした。」そして、コンサートの収支についての心配も記されていたのだった。ありがたかった。

静岡公演リハーサル




静岡公演出演者によるサイン色紙


その後は「髙田三郎生誕100年記念コンサート」プログラムに寄稿いただいたり、近況報告をさせていただいていたものの、ほんのわずかなやりとりであった。むしろ、当時の私にとっては、音楽誌における宇野先生の文章やリリースされるCDが、先生との会話であった。しかし、2015年冬から先生の連載が見られなくなり気になっていた。2016年になり、あまり良くない予感がしたので、フィオレッティの代表の方やピアニストに連絡をして状況を伺っていた。そんなとき、ある音楽誌で新連載が始まった。その喜びと共に、先生にお手紙を送ってみようと思い立った。新連載がとても嬉しかったこと、内容が面白かったこと、先生の指揮するコンサートを聴きたい、またコンサートを企画したい、など。すると程なくして先生からファックスが届いた。

ぼくはもう正式な指揮はできませんが、2010年代に入ってついに「水のいのち」「心の四季」の理想のCD(自分なりの)を作ることが出来ました。~中略~「心の四季」はコウベレックスのがバッチリです。「真昼の星」難曲ですが、このとき初めてできました。嬉しかったです。蓑島さんのご感想を聴きたいです。

さらに後日、先生が最も良いと思っておられるご自身が指揮された別の演奏CDもお送りいただいたのだった。このとき、2016年4月である。

「真昼の星」についての感想は、ついにお伝えすることができなかった。日頃の慌しさのせいにしていたが、きっと宇野先生に私の感性を伝える自信がなかったのだ。髙田作品に近く接してきたにも関わらず恥ずかしい、ただひたすらに後悔の念に駆られている。

宇野先生の指揮する「心の四季」の演奏に通底しているのは純粋さだ。おおらかですらある。むしろ格調は目指していない。指揮者の心の風景が最良のかたちであらわれている。合唱は丁寧で音楽に献身している様子がよくわかる。指揮者とのコミュニケーションも良好だと感じる。
さわやかに流れるように進む「風が」は慎ましい繊細な表現が心をつかむ。「みずすまし」はこれほど魅力的な作品だったのかと思うほど。表現の濃淡と力点のポイントが見事で、情景が眼に浮かぶよう。「川」はわずかに集中力・推進力が低下したと感じる部分があった。ことによるとリハーサル不足だったのでは。ポイントは「雪の日に」と「真昼の星」だ。前者は宇野先生の従来の表現だ。厳しく、鋭く、深く、哀しく、心の奥に届いてくる。後者は童謡を思わせる素朴でけれんのない“うた”。宇野先生の到達した心そのものだ。
これは音楽重視の演奏と言っていい。詩を軽んじているわけではない。作曲家は詩を受けて音楽を創っている。その音楽に詩は内包されているということだと思う。詩の内容と髙田先生の厳格な音楽作りからか、これまで演奏のかたちが限定されてきたことは否めない。この演奏はそれとは一線を画したもの。髙田作品が苦手だと思っている方々にこそ聴いていただきたい。それにしても、宇野先生は合唱の人だ。全体を通して水墨画をみるようだと感じたのは私だけだろうか。

ここしばらくは宇野功芳指揮「ベートーヴェン交響曲第9番」第3楽章をよく聴いている。たっぷりとしたテンポは今の私には心地よい。1992年盤と2015年盤を所有しており甲乙付けがたいが私は1992年盤をとりたい。このときの合唱がTCF合唱団(合唱指揮:辻正行)だから贔屓目かもしれない。辻先生が「宇野さんの指揮は本番の時は“え?”と思うけど、音になって聴いてみると納得性があるんだよな」と言っていたのを思い出す。このときの録音は8/24発売のCD「宇野功芳の芸術<限定盤>」にも収録されている。宇野先生は前述の寄稿にもある通りTCF合唱団の音を高く評価してくださっており、1983年東京カテドラル「朝比奈隆指揮/ブルックナーミサ曲へ短調」のライナーノートでも次のように書いておられる。

「ミサ曲」は独唱者のプロ的な発声が時にブルックナーの素朴さと合わなかったが、コーラス(TCF合唱団)の声のまとまりと真摯な歌い方がすばらしく、合唱指揮の辻正行がテノールのパートに参加していたのも微笑ましかった。
~中略~
特筆すべきはコーラスの見事さであろう。ミサ曲を生かすも殺すもコーラス次第であるが、TCF合唱団の、男声部がことのほか充実した厚みのある響きと、心のこもった訴えの強さ、敬虔な感動の深さ、祈りの感情が実にすばらしい。Tsuji Chorus Familyの名のとおり、辻正行を常任指揮者とする十数団体の合同コーラスで、日本のアマチュアでも最高水準に達した団体のひとつであり、長年を合唱一筋に打込んだ辻正行の情熱が実を結んだものといえよう。第6曲など絶品だ。

宇野先生と辻先生の繋がりは、私にとってこの上なく幸せなことで、その事実を今あらためて噛み締めている。感謝と共に。

宇野先生の死は、これまでのどんな出来事とも異なる重みを私の心の奥底に残している。そして、今でも先生がこの世からいなくなってしまった哀しさから逃れられずにいる。死因は老衰と発表されているが、先生は自分の死を見極めて、自らこの時期を選択されたのではないか。それこそが私の宇野功芳像と合致する。私は「良いものは良い」として自分の信じるものを全身全霊、命をかけて批評し、支持し続ける宇野先生の姿勢に常に感銘を受けていた。音楽という他の芸術とは異なる危うい領域であるからこそ、先生のように(自身にとって)嘘のないありようは、憧れでもあった。

私は音楽に関わることを生業にしているが、主催するコンサートの演奏家・内容が私の主張や考えを形作っていると考えている。もちろん仕事への取り組み姿勢もそうだ。純音楽は演奏家よりも作品優位であるべきだという考えは変わらないし、演奏家には嘘や飾りのない正直な音楽をもってコンサートに臨んで欲しいと常に思っている。そのために私たちの存在はあるのだ。これからも演奏会の実施や音楽の仕事を通じて本質を追求し、自分の真実を貫いていきたい。


文中で紹介した演奏CDの紹介


【1】ブルックナー:ミサ曲 ヘ短調
朝比奈隆(指揮) 大阪フィルハーモニー交響楽団 TCF合唱団(合唱指揮:辻正行)
ソプラノ:中沢桂 アルト:井原直子 テノール:林誠 バス:勝部太
1983年9月16日、東京カテドラル教会マリア大聖堂でのライブ録音
http://tower.jp/item/2409231/


【2】ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱」Op.125
宇野功芳(指揮) 新星日本交響楽団 TCF合唱団(合唱指揮:辻正行)
ソプラノ:森美智子、アルト:安孫子奈穂美、テノール:佐藤一昭、バリトン:水野賢司
1992年12月9日、サントリーホールでのライブ録音
http://tower.jp/item/1051287/


【3】北村季晴:おとぎ歌劇“ドンブラコ”全曲
アンサンブル・フィオレッティ
桃太郎:岡島由起子(ソプラノ) 婆、雉子山拳蔵:森康子(ソプラノ)
爺、真白野猿之助:平木郁子(アルト) 犬野腕三郎:杉林良美(アルト)
佐藤和子(ピアノ) 高柳未来(オルガン) 西田克彦(ホルン)
宇野功芳(指揮、木遣り)
2008年1月6日 川口リリアホール
http://tower.jp/item/2557024/


【4】宇野功芳 叙情の世界 Vol.2 ※「心の四季」収録
宇野功芳(指揮)神戸市混声合唱団
沢田真智子(ピアノ)、宮下恵美(ピアノ)
2012年6月9日 神戸新聞松方ホール(公開録音コンサート)
http://tower.jp/item/3147873/


【5】ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱」Op.125
宇野功芳(指揮) 大阪交響楽団 神戸市混声合唱団
ソプラノ:丸山晃子、アルト:八木寿子、テノール:馬場清孝、バリトン:藤村匡人
2015年7月4日 いずみホール にてライヴ収録
http://tower.jp/item/3951084/


【6】宇野功芳の芸術<限定盤> ※2016年8月24日発売
宇野功芳(指揮) 新星日本交響楽団 他
宇野功芳が1990年代に新星日本交響楽団を指揮した8枚のアルバム。ベートーヴェンの7つの交響曲、同じように大好きであったモーツァルトの「40番」とワーグナー「指環」、そして氏の"命をかけた遊び"ともいうべき「ハイドンのセレナーデ」など。
http://tower.jp/item/4305011/




2016年9月21日(水)ホテルグランドパレスにて「宇野功芳先生お別れ会」が催された。大勢の出席者が会場を埋め尽くしていただが、それぞれが宇野先生への想いをかたちにしている、そんな自由で穏やかな会であった。お言葉は遠山慶子先生、佐藤眞先生、中田幸子さん、献奏は鳥羽泰子さん、佐藤久成さん、アンサンブルフィオレッティ(ピアノ:村田智佳子)であった。

アンサンブルフィオレッティによる献奏


宇野先生指揮によるCDと愛用のインク



宇野先生の最後の書籍が音楽之友社から10/20発行となる。



ONTOMO MOOK
『宇野功芳の軌跡』
詳細はこちら↓
http://www.ongakunotomo.co.jp/kagutsu/k310.html

  


Posted by シン・ムジカ - 蓑島音楽事務所 at 14:46Comments(0)演奏家音楽シン・ムジカ